「信州しおじり本の寺子屋」の、小嵐九八郎氏、齋藤愼爾氏による対談について報告しています。

対談「短歌と俳句の行方」

深夜叢書社を主宰する編集者であり俳人の齋藤 愼爾さんと、作家でもあり歌人の小嵐九八郎さんに、短歌と俳句のこれからについて対談していただきます。

日時

2014年11月16日(日曜日)13時30分から15時30分

場所

塩尻市民交流センター(えんぱーく)3階・多目的ホール

講師

小嵐九八郎氏

1944年、秋田県生まれ。作家でもあり歌人、能代で暮らした後、川崎に引っ越しする。早大時代に過激派の活動家となり、刑務所生活も体験。劇画原作、歌人としても活躍。昭和61年小説家としてデビュー。阪神タイガースのファン。釣りの腕はプロ級。これまで4回直木賞候補となる。平成7年、「刑務所ものがたり」で吉川英治文学新人賞を受賞。最新刊の小説に「我れ、美に殉ず」(講談社)。歌集に「明日も迷鳥」(短歌研究社)。

齋藤愼爾氏

1939年、京城市生まれ。俳人、深夜叢書社主宰。2010(平成22)年に『ひばり伝 蒼穹流謫』(講談社)で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。山本周五郎の少年少女小説集『春いくたび』『美少女一番乗り』(角川文庫)の編集に携わる。『齋藤愼爾全句集』(河出書房新社)、『永遠と一日』(思潮社)、『読書という迷宮』(小学館)、『寂聴伝 良夜玲瓏』(白水社)など。

当日の概要

斎藤さんのお話

現在、俳句を詠む人口はおよそ1000万人ほどといわれています。俳句の雑誌も同人誌等を含めると1000誌以上あり、その中で多くの人の目に留まる句はごく少数です。斎藤さんは、これらの中からエネルギーのある句が出てくれば、俳壇を変える力があると考えているそうです。古くから、俳句の本質は「挨拶、即興、滑稽」と言われてきましたが、現在の俳句を見ると必ずしもそうとは言えず、新しい俳句の理論が必要ではないかとおっしゃっていました。俳句は5・7・5の形に定型の感情を入れれば作ることのできるものですが、日常を破るような衝撃性を持つものでないと他と似たようなものになりがちともいえます。俳句の総合誌が少なくなった現在、淘汰された中から良い句が出てくるのでは、と期待されているとのことでした。

齋藤愼爾さん

小嵐さんのお話

戦後、短歌は写生主義が主流でしたが、前衛短歌の出現によりフィクションとしての側面を持つようになりました。その後、共通の認識としての感情や思想を短歌に投影する時代を経て、俵万智氏に代表される口語短歌が登場したことにより、短歌人口も爆発的に増えました。現在はデジタル機器の普及により、短歌をはじめとした短詩型文学を作りやすい環境になり、良いものが出てくる土壌ができているのでは、とのことでした。現在の傾向としては、短歌にリアリティを持たせるため個別性が濃く打ち出され、思想性は薄れていますが、それは思想性のない現在の社会を反映しているのではないかと分析されていました。ゲーム性の強いネット短歌が普及しつつある現状の中で、他人を感動させることのできる歌を作れるかどうかが今後のカギになる、とのことでした。

小嵐九八郎さん

対談

対談

斎藤さんと小嵐さんに短歌と俳句のこれからについて対談形式でお話しいただきました。
これまで、震災等の大きな事件があると、多くの短歌や俳句がつくられてきました。何かが起きた直後の生の感情を記録するために、短詩型の文学はとても良い形ではあるものの、何年か経った後により優れた作品が出てくる傾向にあるとのことでした。また、短歌や俳句を作る際、文語と口語のどちらで作るべきかという討論では、どんな言葉を使うかよりも、リズムや、詩として成立しているかどうかが大事であるというようなお話が出ました。

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