9月14日(日)に東京学芸大学名誉教授の石井正己さんの講演会を開催しました。1923年に関東大震災が起きたとき、塩尻出身の喜志子・みどりの姉妹が大災害と向き合った様子をお話ししていただきました。
講演概要
1923年9月1日に起きた関東大震災はM7.9、震度7を記録した。東京は上野を境に被害が2分割され、家も家族も失う人もいれば、すべて無事という人もいた。宮崎、中国ハルピン、ロンドン、ドイツ、相模湾で起きた地震が各地に広まり、文豪たちがそれを受け止め様々な作品を書いた。
世の中では文学は役に立たないと大学の学部が縮小され、実用的な学部に代わってきた。文学はなんの役に立つんだと聞かれるが、文学こそ災害を救う大事な情報源だ。地震被害何万人という数字を見てもリアルには分からない。けれど芥川龍之介が書いた文章は数字よりよほど関東大震災をよく教えてくれる。
広丘出身の姉妹、若山貴志子と潮みどりは9歳違い、貴志子は若山牧水と、みどりは長谷川銀作と結婚し、それぞれ沼津、横浜で暮らした。
関東大震災が起きた日のことを牧水は日記に記している。民宿で寝ていたところに地震がきたこと、津波の前に海の潮が一気に引いた様子。安政の地震を体験した民宿のおばあさんのお話。推察するに安政の地震は南海トラフ系の地震ではないかと石井さんは話されました。関東大震災時の沼津の記録は残っていないが文字には残っている。
翌日、牧水は家に帰り喜志子と子供たちと再会。その後、東京や横浜の友人たちが心配になり、弟子の大悟法利夫が安否を確認しに行った。大悟法が記した『震災記地歴訪記』には潮みどり夫妻の無事と、震災により家を失くしたみどりの悲しむ様子が記されている。
長谷川銀作の『震災記』には丸の内のビルでの地震体験、病弱な妻が震災後炊き出しに出て兵士のためにおにぎりを握る様子が記されている。潮みどりも「震災のあと」という作品に震災時の気持ちを詠んだ。
牧水が詠んだ『余震雑詠』は余震のなかで生きていく人々の様子が分かる。余震にストレスや不安を覚える毎日、震災関連死についても関東大震災のときからあったのではないかと推察できる、数え六歳の娘が余震に怯えて痩せていく様子もある。
若山喜志子は関東大震災の詩を直接詠んでいない。それは主婦として避難してきた人と子どもたちの世話を一生懸命していたからではないか。潮みどりは転居しながら震災から4年後に病死した。沼津、横浜それぞれの場所で違う苦労があった。
近代短歌は女性の歌人も増えてきた。男性中心につくられた詩の世界をゆるやかに変えていく力が100年前からあったのではないか、と彼女たちの詩から感じられると講演を締めくくられました。
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石井正己さん、参加していただいた皆さんありがとうございました。
日時
2025年9月14日(日) 14:00~16:00
場所
塩尻市市民交流センター(えんぱーく) 多目的ホール
講師
石井 正己(いしい まさみ)さん
 1958年東京都生まれ。国文学者・民俗学者。近刊の著書に『旅する菅江真澄』『文豪たちが書いた関東大震災』『源氏物語 語りと絵巻の方法』、編著・校注に『菅江真澄 図絵の旅』『世界の昔話を知るために!』『柳田国男自伝』など。
塩尻では、これまでにも菅江真澄・柳田国男・島木赤彦について講演会をおこなう。


