12月7日(日)に信濃毎日新聞で連載記事「音の河へ ~武満徹 信州で紡いだ調べ~」を執筆されていた矢沢健太郎さんをお招きして講演会を開催しました。
講演では、世界的な作曲家、武満徹の生い立ちや人物像、没後30年となる現在も作品が世界中で演奏され続けている理由、信州とのゆかりを中心にお話ししてくださいました。
講演概要
連載記事「音の河へ」は「武満徹は信州にゆかりがあるが、あまり知られていないのでないだろうか」という思いから企画されました。そこで、信州と武満さんのゆかりを中心に、武満さん自身の音楽、人となりを辿ろうという趣旨で連載が開始されました。武満さんは、1930年生まれで1965年から毎年、春~秋にかけて御代田町の山荘で創作活動をされていました。現在御代田中学校では武満さんの肖像画が、チャイコフスキー、ドビュッシーと共に飾られ、3年生は毎年武満さんについての学習を行っているそうです。(2024年3月19日信濃毎日新聞掲載)
「世界のタケミツ」と呼ばれている理由について以下の5点をあげられました。
①海外での評価が非常に高い。
②来年没後30年になるが、今も世界で演奏され続けている。
③日本人演奏家が世界へ羽ばたく時、名刺代わりに武満徹の作品を演奏されている。
④音楽の教科書に掲載。
⑤音楽番組に繰り返し取り上げられる。
武満さんの代表作「ノヴェンバーステップス」が生まれた経緯についてお話していただきました。今まで相いれないと考えられてきた日本の伝統音楽に近づく方法を、御代田町で流れる有線放送や自然の音から着想を得ました。調和させるのではなく、ただそこへ投げ出し、それぞれの魅力を際立たせたと仰っていました。
武満さんは前衛音楽だけでなく、映画音楽・ポップソング・TVドラマなど数々の曲を作っていました。ドラマに使用された「波の盆」については、東京オリンピックの閉会式にも使用されたそうです。
武満さんの生い立ちについて語られました。武満さんは戦争経験世代で、勤労動員で埼玉へ行ったときシャンソンを聴いたことが、音楽家を志すきっかけになったそうです。その後、黛敏郎さんからピアノを贈られました。そのピアノは今も御代田町の山荘に残されているそうです。作曲についてはほぼ独学で学ばれました。青年期になると重い結核で療養。その時期に「弦楽のためのレクイエム」を作曲されました。この曲はロシアのストラヴィンスキーに称賛され注目を集めました。その後は家族と慎ましく暮す「家庭の人」で、亡くなるまで御代田町で創作活動をされました。
文章家としての武満徹についてもお話されました。軽井沢「高原文庫第二十号」の武満徹特集の寄稿者をみると、辻井喬、岸田京子、篠田正浩、谷川俊太郎、小室等などで、幅広いジャンルの方と交流していたことがわかりました。
御代田町の山荘、作曲小屋の本棚の写真を見せていただきました。本棚には「コレクション滝口修造」「大岡信著作集」「ヒッチコック 映画術」「日本一阪神タイガース熱戦譜1985」など幅広いジャンルの本が並べられていました。本が大好きで作曲の合間や移動中も本を読み、半年に一回は古本屋で売って、次々に新しい本を買っていたそうです。様々な文学者との交流も非常に活発に行っていました。浅間山麓の近隣に山荘や別荘がある方と行き来があったようです。谷川俊太郎、北杜夫、大江健三郎、加藤修一などでした。
武満さんが亡くなったときにできた曲が『MI・YO・TA』。黛敏郎さんがまだ無名の武満さんに映画音楽のアシスタントの依頼した時、非常に素晴らしい旋律を書いてきました。あまりにもったいないのでこっそり使わずにとっておいたそうです。この旋律をもとに、一番交流が深かった谷川俊太郎さんが歌詞をつけて、タイトル『MI・YO・TA』と名付けたそうです。
武満さんは生前単行本、エッセイ、対談集を出版されています。一番最初に出しだエッセイ集『音、沈黙と測りあえるほどに』(1971年、新潮社)は、武満さんの文章に感銘を受けた大江健三郎さんが新潮社に働きかけて出版された本。最後のエッセイ集は『時間の園丁』(1996年、新潮社)でした。担当編集者を務めた矢野優さんに、最初に出したエッセイ集と最後のエッセイ集を比べていただくと「若い頃は問題意識に対して見解を述べる硬質さがあった。晩年に向かい、柔らかく詩的になっていった。」とおっしゃっていたそうです。
現役の作家さん達にも武満さんの文章は影響を与えました。その一人は芥川賞作家・朝吹真理子さん。『抽斗のなかの海』というエッセイ集の中で、武満さんについて触れています。
指揮者の山田和樹さんは「武満さんの音楽は自然との結びつきで考えることが大切だ。あるいは武満さんは音楽家でありながら映画にも造形が深い。これは非常に人生のメッセージとして継承していくべきではないか。その場として信州はうってつけではないか。」とおっしゃっていたそうです。
「これだけ多方面を活躍した武満さんの全容をとらえるのは至難の業でしたが、これがとっかかりとなり”信州の財産”として再認識していただけたら。」と、講演を締めくくられました。
矢沢さん、ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。
日時
2025年12月7日(日) 14:00~16:00
場所
塩尻市市民交流センター(えんぱーく) 多目的ホール
講師
矢沢 健太郎 (やざわ けんたろう) さん
1974年、飯田市生まれ。大学時代はフィルハーモニー管弦楽団に所属し、武満徹の音楽を聴き始めた。96年、信濃毎日新聞社に入社。小諸支局長、編集局整理部などを経て2010~11年に文化部で芸能を担当。サイトウ・キネン・フェスティバル松本(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)に関連し、武満について取材した。21年より軽井沢支局長として、隣町の御代田の山荘を拠点とした武満について改めて取材に取り組み、21年11月~25年3月に文化面で「音の河へ~武満徹 信州で紡いだ調べ~」を連載。軽井沢支局時代は、連合赤軍あさま山荘事件から半世紀を機に、事件当時人質となった女性へインタビューしたことも思い出深い。24年春から諏訪支社次長。


