8月11日(日)、筑波大学名誉教授の伊藤純郎さんを講師にお招きし、戦前、全国初の県営で設立された「桔梗ヶ原女子拓務訓練所」についての講演会を開催しました。
講演の前には「平和祈念のつどい」が開催され、広島平和教育研修に参加した市内の中学生の発表がありました。
講演概要
昭和7年頃から内地の農地問題を解決し徴兵に向けて青年を養成するために、多くの長野県民が満州に渡りました。
青年移民だけではなかなか土地へ定着しないので多くの義勇軍(今の中学3年生から高校生ぐらいの若者)も満州へ渡り、その若者の世話をするために送られた女性は「大陸の花嫁・大陸の母・大陸の姉」と名付けられました。
今まで満州に渡った男性の話は多く語られてきましたが女性についての話は語られてこなかったので、私は「満州と女性」との関わりを研究してきました。
当時、満州に渡った人々は「鍬(男性)と鍋(女性)」と呼ばれていたそうです。
戦前の長野県では農地が狭かったので、貧民の多かった村では分村移民をして残った村人は農地を耕し、満州へ渡った人たちは3年耕せば農地がもらえるということで希望をもって大陸へ渡ったそうです。
満州へ渡るための他県の訓練所は高等学校附属の施設でしたが、長野県では県営の専門訓練所として昭和13年に設立されました。
塩尻市桔梗ヶ原にあった「桔梗ヶ原女子拓務訓練所」では、満州へ渡りたい未婚女子希望者を対象に満州開拓認識を徹底し配偶者気運を醸成するため、長期では1年間短期では1カ月の「大陸の花嫁」講習を実施しました。
募集要項は・身体強健志操堅実なる17歳以上の女子・満蒙開拓青少年義勇軍の配偶者になりたいもの・海外に行きたいもの・新時代の構築に関わりたいものが条件でした。
伊藤さんは、参加した中学生に次のように問われました。
「あなたたちの行きたい高校がこんな日課の学校ならどうしますか?
朝5時に起きて髪を結い、本部に集合、祭祀、礼拝、国歌斉唱、勅語奉読、弥栄三唱、皇居遥拝、国民儀礼、大和体操など二時間かけて食事前の作業がある。午後は作業、5時に国旗を降ろして夕食・入浴。寝る前は女性独自の授業があり、正座・礼拝が終われば消灯、就寝。休みは日曜日・祝祭日・冬休み以外はない。今では考えられないですよね。全てはお国のためでした。」
戦後、桔梗ヶ原訓練所は荒廃した農村のリーダー養成所として生まれ変わりましたが、まもなく廃止に。
その後の経緯は不明なことも多く、なぜ桔梗ヶ原の地が選ばれたのかも未だに明らかになっていません。
「鍋」と呼ばれていた女性についての話はまだまだ光を当てなければいけないと思っています。
この講演会に来ていただいている方たちのお住まいの地域にも開拓団や義勇軍があったと思いますが、当時の人びとの置かれていた立場に思いを馳せていただきたい。
そして今のうちに若い人たちに語り継ぎたい。地域の歴史をもっと知ってもらいたいと思います。
桔梗ヶ原女子拓務訓練所のあったこの地域で、平和について学び考えさせられる講演会でした。
日時
2024年8月11日(日) 14:00~16:00
場所
塩尻市北部交流センター(えんてらす) 101、102会議室
講師
伊藤 純郎(いとう じゅんろう)さん
1957年上伊那郡高遠町(現伊那市高遠町)生まれ。博士(文学)。
専門は日本近代史・歴史教育学。『満州分村の神話大日向村はこう描かれた』(信濃毎日新聞社、2018年)『特攻隊の<故郷>霞ヶ浦・筑波山・北浦・鹿島灘』(吉川弘文館、2019年)『満蒙開拓青少年義勇軍「鍬の戦士」の素顔』(信濃毎日新聞社、2021年)など著書多数。『⾧野県民の戦後六〇年』・『臼田町誌』執筆者、『佐久の先人』監修者。
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