須坂市出身で音楽評論家として活躍中の富澤一誠さんをお迎えし講演会を開催しました。

歌手志望だった富澤さんは、上京するために東京大学に進学。その後大学を中退。歌手を諦めて作詞家を目指している時に岡林信康の歌に出会い、その歌詞の鋭さに衝撃を受けたそうです。 そして20歳で岡林についての評論を音楽雑誌に初投稿したことが音楽評論家の道を歩み始めきっかけとのこと。時代背景と歌い手の人間模様を見つめたうえでの音楽評論は、ご自身や当時の若者たちの生きざまをも投影されたものであるように感じました。

今回の講演会では、広丘商工会の協力で設置した高性能のオーディオセットで、講演内容に沿ってフォーク・ソングを聴きました。レコードは富澤さんと市民の愛好家の方々が持ち寄ってくださったものです。富澤さんの解説で曲の味わいも一層深まり、会場の皆さんも感動してくださったようです。講演会終了後に行った質疑応答やサイン会でもその様子がうかがえました。

また、同日夕刻から同会場で、広丘公民館主催による「富澤一誠さんと楽しむレコード交流会」が行われました。広丘商工会、並びに市民ボランティアの皆様の協力で、参加者からのリクエスト曲を富澤さんの解説を交えて鑑賞する、楽しく有意義な会となりました。

講演概要

1960年頃、アメリカからおしゃれな美しいメロディーと人権や反戦を訴える歌詞(プロテストソング)を併せ持つ、コンテンポラリー・フォークが上陸した。キングストン・トリオ、ピーター・ポール&スミス、ボブ・ディランなどによる楽曲は、若者たちに支持され、こぞってコピーをして歌われた。 やがて日本語でオリジナル曲を作るようになっていくが、関東ではマイク・真木や森山良子らによる、ファッション性の高いおしゃれな「カレッジ・フォーク」、そして関西では高石ともやザ・フォーク・クルセダーズらによるメッセージ性の強い「関西フォーク」とに、二分されていった。 1960年代後半はベトナム戦争反対や学園紛争、安保闘争といった、社会体制への批判が巻き起こった時代。関西フォークから登場した岡林信康は、『山谷ブルース』や『チューリップのアップリケ』などで社会体制を痛烈に批判し、『友よ』は、怒れる若者たちの闘争のテーマ曲となった。こうして反体制の英雄・岡林はフォークの神様として圧倒的な支持を受けていった。 しかしながら、70年の安保自動延長によって若者たちに大きな挫折感が広がり始めると、岡林はアルバム『俺らいちぬけた』を発表し、これまでは社会に反抗してきたが、自分自身にこそ噛みつかなければならないのではないか?と反抗の矛先を外から内なる自分に向けていく。 そんな中、燦然と登場したのが吉田拓郎であった。「第3回中津川フォークジャンボリー」で歌った『人間なんて』は若者たちの心を捉えた。 70年以前の岡林の、私たちは今歌わなければいけないんだという使命感を帯びたフォークとは対照的に、拓郎のフォークは、自分は歌いたいから歌うんだ、という自由なものであった。「私たちの望むものは・・・」と歌った岡林の歌は、連帯感を生む「私たちの歌」であったのに対し「私は今日まで生きてきました・・・」と歌う拓郎の歌は、自分自身を振り返って自らの生き方を問う「私の歌」となり、若者の共感を得ていく。こうして時代は「集団」から「個人」へと移行していく中、若者の英雄・拓郎の『結婚しようよ』などの大ヒットは、フォークを更に広く世に知らしめ、黄金のフォーク・ブームが沸き起こった。

楽を熱く語ることをモットーに活動してこられた富澤一誠さん。多くの著書を出版するほか、ラジオ番組やホームページでも熱く語っていらっしゃいます。ぜひ、富澤節に触れてみてください。

富澤一誠さん、参加いただいた皆さん、そしてご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。

日時

2020年11月15日(日曜日)14:00~16:00

場所

塩尻市北部交流センター(えんてらす)101.102会議室

講師

富澤一誠(とみざわいっせい)さん
1951年長野県須坂市生まれ。音楽評論家。

富澤一誠さん1
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