出版社「筑摩書房」創立者で北小野出身の故・古田晁にちなんだ講演会です。

「古田晁記念館文学サロン」は、2020年に「太宰治賞」を受賞した作家・八木詠美さんの講演会と、太宰治について研究されている玉手洋一さんの講演会の2部構成で開催しました。

講演概要

第一部

「物語が生まれるとき」という演題について、まず皆さんに謝らなければならない。この演題を決めたのは今年の春ごろ、半年ぐらい前のことだが、その時は2作目を執筆しているだろうと想像していた。だが思うほどには進まず、実はまだ新しい物語は生まれていない。物語の生み出し方がよく分かってない人間だが、「どうやったら物語が生まれるのか」ということを自分なりに考えてみた。
小説を書き始めたのはこの2~3年のこと。学生時代も小説を書いてみたいという漠然とした思いはあったが、自分じゃない「私」や「僕」という人のことを自分のことのように書いていくことに違和感があり、そもそも物語の書き方そのものもよくわかっておらず、当時は上手く筆が進まなかった。それが社会人となり働くようになってから、妙に書けるようになってきた。今は会社員として朝の9時から夜19時くらいまで勤務をし、その後2時間を執筆の時間に充てている。『空芯手帳』は、もし会社員の自分が妊娠したと嘘をついたらどうなるんだろう…という空想がきっかけ。書いてみると、昔は全然書けなかったのに意外に楽しかった。
執筆はいつも図書館でしていた。家には物理的に自分だけの部屋が無く、場所が無かった。図書館という、仕事の場でも家庭の場でもないもう一つの場所があること自体が、物語を生むことになったと思う。今までの自分とはまったく違う場所に行って、「自分の頭の中」というもう一つの場所を見つけたような気持ちだった。どんな時でも侵害されない場所が自分の頭の中に作れるということがすごく大きな発見で、楽しいことだった。
現実と違う場所があるということは本を読むときにもあるが、書くときとは決定的な違いがある。書くときは自分が予想もしなかった発想や想像もしなかった単語が浮かんで、そこから物語が生まれる。例えばさっきまで会社でExcelの表を作っていた人間が、ある場所に行ってパソコンを開いた瞬間に別の物を作れるかもしれない、そのこと自体が喜びだった。物を作れるという喜びだけではなく、人の頭の中はこんなにも自由で、それは誰にも侵害されないということに喜びがある。
そのことをより深く感じさせるものとして『アンネの日記』がある。コロナ禍がきっかけで、改めて『アンネの日記』を読み直した。昨年の3月4月頃は、誰もが「ステイホーム」で家から出られない状況だった。人間の暴力という極めて不条理な理由で隠れ家での「ステイホーム」を強いられたアンネが、究極の状況下でも豊かな言葉を紡いでいたことにとても希望を持った。現実とは別の世界で言葉を紡ぐということは、一つの抵抗の形なのではないかと思う。アンネの辛さとは全然比べられないが、現実と違うどこかへ行きたいという気持ちを抱えている状況で、物語を作る、紙の中に自分の世界を作るということは大きな希望ではないかと感じた。
小説家はあまりハッピーな人はならないんじゃないかとよく言われるが、もしかするとあらゆる物語はつらい現実から目を背ける、それはただ逃げるということではなく、「頭の中は自由である」ということを示すようなレジスタンスの言葉なのだと思い始めた。物語というのは、今とは違う関わり方で、世界と向き合うための方法を考えられる場所なのだと思う。
そういうと不幸なときしか物語は生まれないように思われるかもしれないが、私自身はそれを否定しながら作れたらいいなと思っている。そもそも物語を生むことは、特別な力を持つ限られた人のものではないと思う。日常の中で一つ光の当たり方が変わるだけで、もしかしたらそこから物語が作れるし、現実を変えられるかもしれない。「物語が生まれるとき」というものを考えたときに、頭の中のどこでも出来ることだと思う。

八木先生は終始穏やかな口調で、丁寧に創作についてお話しくださいました。質疑応答では、太宰治賞受賞作『空芯手帳』の読者からの質問もあり、和やかな会となりました。

第二部

太宰は亡くなる前『人間失格』を書き上げるために埼玉県の大宮に滞在しています。その背景は、『リヨンの妻』や『斜陽』で大ブレイクを果たし、各出版社から執筆依頼に追われる太宰をかくまい創作活動に専念させるため、筑摩書房創設者である古田晁が用意をしたそうです。『人間失格』を書き上げるたった2週間の滞在でしたが、太宰は大宮を気に入り自宅のある三鷹に帰る時にも、「また来るから。」という言葉を残していたそうです。その1か月後、太宰は入水自殺します。
玉手さんは大宮で過ごす太宰を知る人の話や関係者の日記、記録から、なぜ太宰が死を選んだのかを推察し語ってくださいました。一緒に亡くなった山﨑富栄が記した日記を紹介し、二人の関係が追い詰められていく状況や太宰の将来を考える古田晁との関係、優しい太宰の性格などを紐解き、死を選ぶしかなかったことをお話してくださいました。
会場からは、「亡くなる直前に古田晁に会いに行った時、もし古田に会えていたらどうなっていたと思うか。」「(太宰が大宮で通っていた)宇治病院院長の宇治田積さんと信州の関係はどういったものか。」「太宰の作品と実体験との関連性について」などさまざまな質問があがりました。

日時

2021年10月31日(日) 13:30~16:00

場所

塩尻市市民交流センター(えんぱーく) 多目的ホール

講師

八木 詠美(やぎ えみ)さん

1988年長野県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。2020年『空芯手帳』で、第36回太宰治賞受賞。

玉手 洋一(たまて よういち)さん

電機メーカーのエンジニアとして勤務しながら、地元郷土史を研究。
太宰治没後60年を機に、太宰が古田晁の紹介で『人間失格』執筆のために大宮に住んだ事実に着目。10年余りにわたって調査研究、新事実を次々と立証している。
現在は「太宰が住んだ大宮」 探索ツアーを企画し、消えゆく太宰が見た景色を地元の人や太宰ファンに伝える活動をしている。

798f39edd88899d10fecdef4af29bd24-1