7月18日(日)、評論家で「信州しおじり本の寺子屋」の開講当初にお越しいただいた佐高信さんの講演会を開催しました。
講演会の前に行われた開講式では、10周年を迎えた「信州しおじり本の寺子屋」へ教育長からご挨拶をいただきました。また、塩尻市立図書館館長の上條からは10周年に合わせて出版された『本の寺子屋新時代』について説明があり、本の製作に関わっていただいた方々に感謝の意を述べました。
佐高さんは現代の日本における禁忌(タブー)について、自分が今まで見聞きし得た知識と冗談を交え語ってくださいました。

講演概要

先日大阪で行われた講演会で、このオリンピックを止められないなら、戦争も止められないんじゃないかと発言した。これだけ反対する人間が多い中、何故オリンピックは開催に繋がったのか。子どもたちに「どうして運動会はなくなるのに、オリンピックはなくならないのか」と聞かれたとき、説明がつかないことをやっているように思う。
最近オリンピック関連の書籍を読み、オリンピックのスポンサーにメディアがなるのは初めてだと知った。メディアがスポンサーになるということは批判が出来なくなるからだ。コロナウイルス感染が拡大する中、本当にオリンピックを開催するのかという是非を書くことができない。スポンサーから外れているメディアのみがオリンピックに対する批判を書いているのが現状だ。納得できないことをしている勢力が票を集めることにはからくりがあり、そういうときこそ批判をするのが大事な役割になってくる。今回のオリンピックに関しても、メディアがスポンサーになる時点でおかしいこと。メディアが批判をする権利を抑える必要があったからこそスポンサーにつけたのではないかと感じた。


 もう一つ、首相公邸に住まない首相について。本来なら公邸にいるはずの首相がいないということは、最も公であるべき人間が公を嫌っているようにとれるのではないか。今の問題は公というものが、ある種の攻撃対象となってしまっていること。国鉄の分割民営化、郵政の民営化について、民営化というのは会社化するということだ。会社化するということは、安全よりも利益を優先させる考え方になる。JR福知山線列車事故、私鉄と競争した結果起きてしまった事故だ。公というものをどう捉えるのか。私は国鉄の分割民営化に反対し、各地を巡った。その際、北海道のある町長が「国鉄が赤字だというが、消防署や警察が赤字だというのか。」と民営化に対して反論した。国鉄は公共の足。本来ならば会社化して利益を優先してはいけないものだ。昔の郵便局というのは山奥で暮らす人々のライフラインになっていた。それが郵政民営化により会社化し、行きづらくなり、ライフラインとして機能しなくなった。それはつまり公が無くなるということだ。公というのはなんなのかを政治家が一番考えなければいけないのに、一番考えられない人間が政治家になっている。公は国とも違う。公海というのが領海の外にある。政治家や為政者は国=公だと発言するが、そうではなく、公は国を越えるものだ。私の発言はある意味世の常識とされているものをひっくり返しているかもしれない。そして、世の常識をひっくり返す発言は禁忌(タブー)とされている。常識とされているものを上塗りしていくと、世の中はあまり良い方向にはいかない。責任の所在がどこにあるのか、それをはぐらかし続けて戦争などは進んでいったのではないか。私はそう思っている。


 今の日本にも禁忌とされているものがある。日本の言論の自由は世界の中でとても下だ。言論の自由があるように見えても禁忌をうつ自由はない。一時、禁忌は『鶴・菊・星』と呼ばれていた。鶴は創価学会。菊は天皇。星は軍隊、今でいうなら国家、あるいは会社。今新聞やテレビ局の情報は総務省が抑えていて、批判的意見や異論はみなさんの目に触れないようになっている。会社は、日本の中でかつての軍隊に代わって禁忌になり、禁忌を作るところでもある。最近大企業がメディアを騒がせたが、私から言わせれば、ようやく腐敗があらわれてきたというところだ。会社の中は憲法番外地と化し、異論や反対意見は存在を許されない。本来なら、異論という違った意見と交わりながら、革新が起き、世の中は進歩していく。今の日本は、会社がとても大きな禁忌になってしまっている。日本の会社がなぜ腐っていくか、それは労働組合を徹底してつぶすからだ。また、株主総会でもしゃんしゃん総会と呼ばれるほど短時間で終了する。総会屋と呼ばれる人間が議論を終わらせてしまうからだ。本来の経営者が物言う株主になれていない。総会屋を無くせば会社は良くなるというが、そうではなく、根源である部分を改善させなければいけないのだ。世の中の禁忌も明らかな悪者ではなく、そのさらに奥にある本当の悪が禁忌だ。
 毎日新聞の西山事件というものがあった。沖縄返還時の密約を漏洩した事件だ。国家というものはとんでもない嘘をつく。それを暴くことは尋常な手段ではできない。私がずっと言い続けていることで、政治家を判定するときに、クリーンかダーティーかという基準。もう一つ鳩派か鷹派かという基準。これを組み合わせると4つのタイプに分けられる。一番良くないものはダーティーな鷹。次がクリーンな鷹、ダーティーな鳩。一番良いのはクリーンな鳩だが、今の日本では中々それに値する政治家はいない。最終的にはクリーンな鷹とダーティーな鳩、どちらを選ぶのがましかということになる。鷹派は中国に対するアンチの系譜だ、つまりアメリカに依存するようになる。今の日本では日米貿易よりも日中貿易の方が上になっている。それを排除しようとしたらどうなるか。日本の歴史的な観察眼を今の政治家は持っていない。この状況は極めて厳しい。過去、日本の政治の道を切り開いた人々たちをある種の道しるべとしていかなければいけないのではないかと今感じている。

日時

2021年7月18日(日) 14:00~16:00

場所

塩尻市市民交流センター(えんぱーく) 多目的ホール

講師

佐高 信(さたか まこと)さん

1945年山形県生まれ、1967年慶応義塾大学法学部卒業。
現在、評論家・東北公益文科大学客員教授。著書『面々授受―久野収先生と私』(岩波現代文庫、2006年)、『久野収セレクション』(編著、岩波現代文庫、2010年)、『世代を超えて語り継ぎたい戦争文学』(共著、岩波現代文庫、2015年)、『敵を知り己れを知らば―佐高信の気になる50人』(岩波書店、2016年)、『反―憲法改正論』(角川新書、2019年)、『いま、なぜ魯迅か』(集英社新書。2019年)、『池田大作と宮本顕治―「創共協定」誕生の舞台裏』(平凡社新書、2020年)ほか

佐高信さん1
佐高信さん2
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