2023年10月28日(日)に野々井 透さん、安藤 宏さんの講演会を開催しました。今講演会は出版社「筑摩書房」創設者で、北小野出身の故・古田晁氏にちなんだ講演会です。
 今年は、2022年に筑摩書房主催の文学賞「第38回太宰治賞」を受賞した作家、野々井透さんと東京大学教授で太宰治の研究者である安藤宏さんによる講演の二部構成で行いました。

講演要旨

第一部 野々井 透さん「書きたいものに、近づいてゆく」

 第一部では2022太宰治賞を受賞された、作家の野々井透さんが「書きたいものに近づいてゆく」と題し、受賞作の『棕櫚(しゅろ)を燃やす』を執筆した際のエピソードを交えて話してくださいました。

 8歳から小説を書き始めたという野々井さん。これまでは起承転結やオチを意識してきましたが、30代を過ぎてから書き方が変化し、書き始める前にまずテーマがあり、そのテーマを小説という形でどう表現するか模索していくようになったそうです。時代設定は舞台はどこか、物語の流れは7日間の事なのか、1年なのか登場人物は何人でどんな人たちなのか具体的に決めていくそうです。

 筋書きは3行くらい。書いていて読み返したときに「つまらない」と感じたことがとても大事。
つまらないと感じたときは、何が間違いかを考え直す。「、」(読点)1つを削除すると全体に波及してしまう。
読み返し推敲する回数は50回~100回。その度に印刷して確認するためプリンターも1年で壊れてしまう。
小説を書く上で心掛けていることは、どんなに少ない登場の人物でもその人物のキャラクター設定をしっかりと作ること。生年月日や好きな食べ物、その人らしい癖は何かという細かなところまでしっかり作るところだといいます。

 書きあがってからは、編集者とのやり取りが始まります。編集者の客観的な視点で、登場人物にこのセリフは要らないと削除することもある。「、」テンの数にも直しが入るそうです。書いているとその物語にどんどん埋没してしまい、客観的に見れなくなってくることがある作家にとって作品を一緒に作り上げる編集者が居なければ小説は形になっていない、そう締めくくりました。


第二部 安藤 宏さん「古田晁と太宰治「人間失格」」

 第二部では東京大学教授の安藤宏さんが、「古田晁と太宰治「人間失格」」と題しご講演くださいました。安藤さんは、野々井さんの話をうけて、推敲の回数や「書きたいものに近づいてゆく」その過程で何度も書き直し模索することが、作者が自分と出会うドラマだ、それが作家の心構え、根本にあるとしみじみ思ったと話されました。

 安藤さんは25年前の古田晁文学サロンでも講演しています。当時の記憶が蘇り、太宰治の魅力について話したと振りかえりました。

 今回の講演では、古田晁、太宰治の関係性について説明し、太宰治が筑摩書房から本を出すときに、装丁を友人の阿部合成が担当した際にその時代の相場が30円のところを50円にしてくれと頼み、太宰と阿部で一晩で飲んで使ってしまった。また50円出してくれと頼むと、古田晁はまた出してやったというエピソードも交えて話されました。
 常識では考えられないはなしですが、編集者と作家のコミュニケーションが大事であり、そういうところからひとつの文化が立ち上がっていたのではないかといいます。

 太宰治の『人間失格』は、筑摩書房が刊行していた雑誌『展望』昭和23年6~8月号に掲載されました。太宰が亡くなる前後に発表されたため、単行本として刊行された時には爆発的に売れました。自分を否定的に語る『人間失格』は、今でも毎年売れている隠れベストセラーです。若い人こそ自分を否定的に語る傾向にあり、『人間失格』はそういった感性を持つ10代~20代の心をつかんでいるのだろうといいます。
 原稿執筆時、東京にいると書けない太宰のため、古田が熱海や大宮に執筆場所を提供したそうです。すでに体を悪くしていた太宰のことを心配し、大宮滞在時は食事にも気を配ったといいます。
 古田晁が太宰治にいかに寄り添い、二人三脚で作品を作り上げたこと、古田晁がいなけれ居なければこの作品は完成しなかったといえます。
 太宰のことを、古田は何も書いていません。古田が作家のことを何も残さなかったことは、縁の下の力持ちとしての古田の美学だったのかもしれません。

 ですが、太宰治の直筆の原稿が草稿も含め残されており、書き直した箇所を通して太宰治が何度も推敲を重ねて書き上げたことがわかります。太宰が書きたかったことにどう出会っていったのか、垣間見ることができます。
 『人間失格』は、対人関係の距離の作り方に悩む人たちに訴えかけてくる部分が非常にあります。名作は時代とともに受け取られ方が変わっていくもので、『人間失格』は人間の普遍的な部分を提示している点において名作であると締めくくりました。

 古田晁と太宰治の絆の深さ、そして作品が世の中にでるまでの過程を垣間見た講演会でした。
野々井さん、安藤さん、ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。

日時

2023年10月28日(土) 13:30~16:00

場所

塩尻市市民交流センター(えんぱーく) 3階多目的ホール

講師

野々井 透(ののい とう)さん

1979年、東京都生まれ。小説家。
第38回太宰治賞受賞作『棕櫚を燃やす』でデビュー。同作は第36回三島由紀夫賞候補作に選ばれた。
『群像』などにエッセイも寄稿している。

安藤 宏(あんどう ひろし)さん

1958年、東京都生まれ。1982年、東京大学文学部卒業。同大学院人文科学研究科博士課程中退。同文学部助手、上智大学文学部講師、助教授を経て、1997年、東京大学大学院人文社会系研究科に着任。現在、同教授。博士(文学)。専攻は日本近代文学。
主著に『自意識の昭和文学』『太宰治 弱さを演じるということ』『近代小説の表現機構』『日本近代小説史』『「私」をつくる』『太宰治論』などがある。

ポスター

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