10月2日(日)、えんてらすにおいて、金子みすゞ記念館館長である矢崎節夫さんの講演会を行いました。
かつて「若き童謡詩人中の巨星」と絶賛されながらも「幻の童謡作家」となっていた金子みすゞの遺作を掘り起こし、世に知らしめた矢崎さんのみすゞ探しの軌跡と童謡の魅力についてお話しいただきました。

講演概要

 物書きを目指していた矢崎さんは大学2年の時に岩波文庫『日本童謡集』で金子みすゞの詩『大漁』と出会い、衝撃を受けます。この世は光と闇、喜びと悲しみ、全て二つで一つ。そのどちらにも向けたまなざし。命のことに触れ、悲しみに佇む童謡詩人がいたのだと驚いたそうです。もっと読みたい、みすゞの事を知りたいと矢崎さんのみすゞ探しの旅が始まりました。

 手がかりがないまま2年後、出版社の原稿取りのアルバイトで佐藤義美の『大正昭和初期・名作二十四選』の中にみすゞの『露』を見つけ、更に2年後、詩人檀上清春が自費を投じて作った詩集『繭と墓』に出会い、その後は、みすゞゆかりの地、仙崎や下関を幾度も尋ね探し続けました。ある日、人づてに東京に弟さんがいることがわかり、512編が記された3冊の手帳や写真などを手に入れます。みすゞ探しを始めてから16年後のことでした。何としてもこれを世に出したいと出版社を巡り、ついに『金子みすゞ全集』の出版に漕ぎつけました。そして1983年12月14日、朝日新聞に「よみがえる幻の童謡詩人」いう記事が掲載され、みすゞと全集のことが瞬く間に評判になったそうです。

 今ではみすゞの詩は世界13か国語に訳され、日本では小学校の全教科書に掲載されています。
矢崎さんは人との繋がり、人の善意でみすゞが甦ったと語られました。自分が生きた時代の遺すべきものを次の世代に繋ぐことの大切さを知っていた人々全ての功績なのだと。
 そして、みすゞの詩はずっと残るだろう。風景や時代を書いたものは古びて消えてしまうが、彼女は人間の本質を書いている。人間の心の城塞や祈り、願いはいつまでも変わらないからだと述べられました。本当に大切なことは目に見えない。それを言葉にしたのがみすゞであり、彼女の詩は否定ではなく全肯定の詩、子どもたちが生まれてきて、生きていてよかったと思えるものこそが童謡であると述べられました。

みすゞ甦りに掛けた矢崎さんの熱い思いがあったからこそ、今、私たちはみすゞの詩に出会えたのだと再認識した講演となりました。
みすゞ甦りの軌跡やみすゞの生涯、童謡の魅力については、矢崎さんのご著書に詳細に渡って記されています。是非ご一読ください。1983年の新聞記事も塩尻市立図書館で縮刷版やデータベースで閲覧していただくことができます。また、金子みすゞ記念館のホームページには、毎月矢崎さんのコラムが掲載されています。


日時

2022年10月2日(日) 14:00~16:00

場所

塩尻市北部市民交流センター(えんてらす) 101・102会議室

講師

矢崎 節夫(やざき せつお)さん

昭和22(1947)年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒業。大学在学中から童謡・童話の世界を志し、童謡詩人佐藤義美、まど・みちおに師事。昭和57(1982)年、童話集『ほしとそらのしたで』(フレーベル館)で、第12回赤い鳥文学賞を受賞。自身の創作活動の傍ら、学生時代に出会った一編の詩に衝撃を受け、その作者である童謡詩人金子みすゞの作品を探し続ける。16年ののち、ついに埋もれていた遺稿を見つけ『金子みすゞ全集』(JULA出版局)として世に出し、以後その作品集の編集・出版に携わっている。『童謡詩人金子みすゞの生涯』(JULA出版局)においては、平成5(1993)年に、日本児童文学学会賞を受賞。長年にわたり、全国各地で講演を行い、金子みすゞの甦りを多くの人々に伝える。また、呼びかけにより、ネパールにみすゞの名前を冠した小学校が建設された。東日本大震災の折には募金活動を行い、岩手・宮城・福島の3県の小中学校に金子みすゞの詩集を贈るなど、様々な活動を行っている。

平成15(2003)年4月、金子みすゞ記念館(山口県長門市)の館長に就任。平成26(2014)年、長年にわたって「金子みすゞ甦り」に努めた業績と、童謡集『うずまきぎんが』が評価され、第13回童謡文化賞受賞。令和3(2021)年、児童文化功労賞受賞。

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